【2026年最新】現場の「殺すぞ」は指導ではありません|裁判所が違法と認めた線引きと、止める義務は誰にあるか

ヘルメットと安全ベスト姿の職人が、こぶしを上げて空の吹き出しで怒鳴っている横で、もう一人の職人がクリップボードに記録を取っている。中央に法の天秤、背景にクレーンと足場。 現場ノウハウ

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建設の現場で働いていたころ、先輩に「殺すぞ」と言われたことがあります。

「お前はバカか」も言われました。何かを頼まれるときは、たいてい怒鳴り声でした。指示なのか怒られているのか、区別がつかないまま一日が終わる、という感じです。

当時は、そういうものだと思っていました。自分の段取りが悪いから言われるんだ、と。周りの誰も、それをおかしいとは言いませんでした。

今は建設機械のレンタル会社で受付をしていて、毎日いろいろな現場の人と話します。この手の話は、今でも普通に耳に入ってきます。

ただ、あとから調べて分かったことがあります。あれは、裁判所が実際に「違法」と認めている類の言葉でした。「現場だから」で片付く話ではありませんでした。

この記事では、実際に判決が出ている裁判例を並べて、どこからが違法で、どこまでが指導なのか、そしてそれを止める義務は誰にあるのかを整理します。

先にお断りします。筆者は法律の専門家ではありません。この記事は、公開されている裁判例と、厚生労働省・法令の情報をもとに整理したものです。個別の事案がパワハラに当たるかどうかの判断は、記事の後半で紹介する公的な無料相談窓口や弁護士にご相談ください。

  1. 結論:3つだけ先に書きます
  2. 「殺すぞ」は、裁判所が違法と認めています
    1. アークレイファクトリー事件(大阪高裁 平成25年10月9日判決)
  3. 「バカ」「死ね」で7,200万円の判決が出ています
    1. 暁産業ほか事件(福井地裁 平成26年11月28日判決)
    2. 決め手は、本人が書いていた手帳でした
  4. ただし、厳しい叱責が全部アウトになるわけではありません
    1. 前田道路事件(高松高裁 平成21年4月23日判決)
    2. では、どこで分かれるのか
  5. 時間外労働の強要はパワハラになるのか
    1. まず、残業命令それ自体は有効です(日立製作所武蔵工場事件)
    2. 建設業も2024年4月から上限規制の対象です
    3. パワハラ側に振れるのはこういう場合です
    4. 長時間労働と暴言が重なると、判決は重くなります
      1. サン・チャレンジほか事件(東京地裁 平成26年11月4日判決)
  6. 厚労省の6類型で、どこに当たるか
  7. 刑事事件になることもあります(ただし過度な期待はしないでください)
  8. では、止める義務は誰にあるのか
    1. 措置義務は「事業主」にあります
    2. 会社が放置すれば、会社自身が責任を負います
    3. 一人親方・下請けの場合はどうなるか
  9. 証拠能力のある証拠の取り方
    1. 前提:民事で「証拠能力」が否定されるのは、かなり例外的です
    2. ただし「証拠能力がある」と「裁判で効く」は別の話です
    3. 1. 録音|自分が入っている会話なら、同意は要りません
    4. スマホで足ります。ただし、こういう場合だけ別です
    5. 就業規則で録音が禁止されている場合
    6. 2. メモ|決め手は「同時性」と「照合できること」
    7. 3. その日のうちの発信|メモの「後から作った」を潰す
    8. 4. 会社に相談した記録|これが無いと、会社に請求できません
    9. 5. 医療記録|早く行くほど強くなります
    10. 6. 労働時間の記録|残業の話をするなら必須です
    11. やってはいけない証拠集め(立場が逆転します)
    12. 最後に、A4一枚の時系列表を作ってください
  10. 時効に気をつけてください
  11. どこに相談するか
    1. 労基署について、誤解されがちな点
  12. よくある質問
    1. Q. 「現場じゃこれが普通だ」と言われます
    2. Q. 一人親方ですが、それでも請求できますか
    3. Q. 勝手に録音していいのですか
    4. Q. うちの会社には相談窓口がありません
    5. Q. もう辞めた会社ですが、今からでも請求できますか
    6. Q. 残業を断ったら「クビだ」と言われました
    7. Q. 証拠が何もありません。もう無理でしょうか
  13. あわせて読みたい
  14. まとめ

結論:3つだけ先に書きます

長い記事なので、先に結論を出します。

結論
「殺すぞ」「バカ」のような人格を否定する言葉は、裁判所が違法(不法行為)と認めた判決がある。「本気じゃない」「愛情表現だ」は通らない
ただし厳しい叱責が全部アウトになるわけではない。一審で違法とされたものが高裁でひっくり返った判例もある。線は「業務の指摘か、人格の否定か
そして、それを止める義務は、我慢する側にも、加害者だけにもない。事業主(会社)にある。中小企業も2022年4月から法律上の義務になっている

③がこの記事でいちばん言いたいところです。順に見ていきます。

「殺すぞ」は、裁判所が違法と認めています

まず、いちばん近い判例から。

アークレイファクトリー事件(大阪高裁 平成25年10月9日判決)

派遣で働いていた人が、派遣先の社員から受けた言動を争った事案です。作業を指示どおりにやっていなかったことを叱るときに、その社員は「殺すぞ」「あほ」といった言葉を使っていました。

注目すべきは、判断が二転したことです。

審級判断
一審(大津地裁)冗談・軽口の範囲だとして、違法性を否定
控訴審(大阪高裁)逆転して、違法と認定

高裁が示した考え方を、かみ砕くとこうです。

加害者に強い害意まではなくても、こういう言葉が繰り返されると、もはや指導ではなく「嫌がらせ・侮辱」の意味を持つようになり、違法性を帯びる。

そして、人を監督する立場の者は、叱責や指示をするときに適切な言葉を選ばなければならない。それは当然の注意義務である。

ここが重要です。

「本気で殺す気はなかった」「現場ではこれが普通だ」「悪気はない」は、言い訳になりません。裁判所は、言った側の気持ちではなく、言葉を選ぶ義務を果たしたかを見ています。

しかも、この事案は直接の雇用関係がない相手(派遣先の社員 → 派遣労働者)でした。「うちが雇ってるわけじゃないから」も通りません。この点は、後の「一人親方・下請けの場合」でもう一度触れます。

「バカ」「死ね」で7,200万円の判決が出ています

暁産業ほか事件(福井地裁 平成26年11月28日判決)

高校を出て入社した19歳の社員が、上司から半年にわたって暴言を受け続け、自ら命を絶った事案です。

言われていたのは、こういう言葉でした。

  • 死んでしまえばいい
  • 「会社を辞めろ」
  • 「学ぶ気持ちがあるのか、いつまで新人気分でいるんだ」

福井地裁は、これらを「叱責の域を超えて人格を否定し、威迫した」と認定し、会社と上司に約7,200万円の支払いを命じました。自殺との因果関係も認められています。労働基準監督署も、これに先立って労災と認定していました。

決め手は、本人が書いていた手帳でした

この判決で決定的だったのは、証拠です。

その社員は、上司に言われた言葉を手帳に書き留めていました。裁判所はその記載が客観的な事実とも符合すると判断し、23個の文言を「叱責の域を超えるパワハラ」と認定しています。

言われた言葉を、その日のうちにメモしておく。それだけのことが、7,200万円の判決を支えました。

この点は記事の後半(証拠能力のある証拠の取り方)で、実際の残し方まで詳しく書きます。今つらい状況にいる人は、そこだけ先に読んでもらってもいいと思います。

ただし、厳しい叱責が全部アウトになるわけではありません

ここを書かないと、この記事は不誠実になります。

「怒られた=パワハラ」ではありません。一審でパワハラと認められたものが、高裁でひっくり返った判例があります。しかも建設業の事案です。

前田道路事件(高松高裁 平成21年4月23日判決)

道路工事会社の営業所長が、不正経理を上司から厳しく叱責され、うつ病を発症して自ら命を絶った事案です。

審級判断
一審「解消しろ」という叱責は厳しすぎるとして、違法と認定
控訴審(高松高裁)逆転。「正当な業務の範囲内」として不法行為を否定。自殺との因果関係も、予見可能性も否定

高裁は、強い叱責があったこと自体は認めています。そのうえで、不正経理の解消や工事日程の作成について、ある程度厳しい改善指導をすることは正当な業務の範囲内だと判断しました。

では、どこで分かれるのか

アークレイファクトリー・暁産業と、前田道路。何が違ったのか。整理するとこうなります。

観点パワハラ側に倒れる指導の範囲内とされやすい
中身人格・人間性の否定(バカ、無能、死ね、殺すぞ)業務のミスや落ち度そのものの指摘
目的業務と関係のない罵倒。感情のぶつけ先になっている実際に落ち度があり、改善させることが目的
回数継続的・執拗。日常的に繰り返される一回きり、または必要な場面に限られる
場所他の職人や協力会社の前で、さらし者にする個別に呼んで注意する
言い方言葉を選んでいない。怒鳴る、脅す何がダメで、どうすればいいかが伝わっている

この表を、冒頭の話に当てはめてみます。

「殺すぞ」「お前はバカ」には、業務の指摘が一つも入っていません。何がどう悪くて、次からどうすればいいのか、一切伝えていない。前田道路型の「業務改善のための厳しい指導」では守れない言葉です。

そして、日頃の指示が全部恫喝というのは、上の表の「回数」の欄にそのまま当てはまります。一発の暴言より、毎日続いていることのほうが、実は判断に効いてきます。

時間外労働の強要はパワハラになるのか

現場でもう一つ多いのが、残業の話です。「明日までにやれ」「終わるまで帰るな」。これはどうなのか。

ここは正確に書きます。結論から言うと、残業を命じること自体はパワハラでも違法でもありません。ただし、条件を外すと、パワハラにも労働基準法違反にもなります。

まず、残業命令それ自体は有効です(日立製作所武蔵工場事件)

最高裁の判例があります。日立製作所武蔵工場事件(最高裁 平成3年11月28日判決)です。

工場の従業員が残業命令を拒否したことをめぐって争われた事案で、最高裁はこう判断しました。

就業規則に「36協定の範囲内で残業を命じることがある」と定められていて、その内容が合理的なものである限り、それは労働契約の内容になる。したがって労働者は時間外労働の義務を負う

つまり、次の3つがそろっていれば、残業を断る権利は原則ありません。

  • 就業規則に残業を命じる根拠がある
  • 36協定(労使協定)が結ばれ、労基署に届け出てある
  • その範囲内で、内容が合理的である

「残業を命じられた。これはパワハラだ」とは、残念ながらなりません。ここを勘違いしたまま会社と争うと、こちらが不利になります。

建設業も2024年4月から上限規制の対象です

では、どこからおかしいのか。まず時間の上限があります。

建設業は長らく、時間外労働の上限規制が5年間猶予されていました。天候に左右される、災害復旧がある、という事情が理由です。

その猶予は2024年4月1日に終わりました。今は、建設業にも他の業種と同じ上限規制がかかっています。

上限
原則月45時間・年360時間
特別条項を結んだ場合でも年720時間以内
時間外+休日労働が単月100時間未満
時間外+休日労働の複数月(2〜6か月)平均が80時間以内

この上限を超えさせるのは、パワハラ以前に労働基準法違反です。罰則もあります。

ただし、災害の復旧・復興事業については例外があります。「単月100時間未満」「複数月平均80時間以内」の部分は適用されません。年720時間の枠は残ります。この点だけは正確に押さえておいてください。

パワハラ側に振れるのはこういう場合です

厚生労働省のパワハラ指針は、パワハラを6つの類型に分けています。残業の強要が引っかかるのは、多くの場合④過大な要求です。

指針は「過大な要求」を「業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制・仕事の妨害」と定義しています。挙げられている例には、こういうものがあります。

  • 長期間にわたって、肉体的苦痛を伴う過酷な環境下で、業務に直接関係のない作業を命じる
  • 新人に対し、必要な教育をしないまま到底対応できないレベルの目標を課し、達成できないことを厳しく叱責する
  • 業務と関係のない私的な雑用を強制的にやらせる

これを現場に当てはめると、次のようになります。

状況どうなるか
36協定の範囲内で、業務上の必要があって残業を命じられた問題なし。断る権利は原則ない
上限(単月100時間未満など)を超えて働かせている労基法違反。労基署の管轄
そもそも36協定を結んでいない/届け出ていない労基法違反。1日8時間を超えさせた時点でアウト
業務上明らかに不要な作業のために残らせるパワハラ(過大な要求)に当たり得る
どう考えても終わらない量を渡し、終わらないと罵倒するパワハラ(過大な要求+精神的な攻撃)
残業を断ったら怒鳴られる、干される、仕事を回されないパワハラ(精神的な攻撃/人間関係からの切り離し)
残業させておいて割増賃金を払わないパワハラ以前に賃金未払い。労基法37条違反

現場で起きているのは、たいてい一番下の3行が同時に起きている状態だと思います。「終わるまで帰るな」と言われ、断れば怒鳴られ、そのうえ手当も付かない。これは3つ別々の問題が重なっています。

長時間労働と暴言が重なると、判決は重くなります

サン・チャレンジほか事件(東京地裁 平成26年11月4日判決)

飲食チェーンの店長だった24歳の男性が、長時間労働とパワハラを受けて自ら命を絶った事案です。労基署は、上司の暴力を原因とする労災と認定しました。

東京地裁は、社会通念上相当と認められる限度を明らかに超える暴言・嫌がらせ・私生活への干渉があったとして、自殺との因果関係を認め、約5,790万円の支払いを命じています。

この判決で押さえておきたいのは、誰が払わされたかです。

  • 会社
  • 上司個人
  • 社長個人

会社だけでなく、上司個人と社長個人の責任まで認められました。「会社が払うんだから自分は関係ない」は成り立ちません。これは、怒鳴っている側にも、それを見て見ぬふりをしている経営側にも、知っておいてほしい部分です。

厚労省の6類型で、どこに当たるか

ここまでの話を、厚生労働省の分類に当てはめておきます。

類型内容この記事の例
①身体的な攻撃暴行・傷害叩く、蹴る、物を投げつける
②精神的な攻撃脅迫・名誉毀損・侮辱・ひどい暴言「殺すぞ」「お前はバカ」「死ね」
③人間関係からの切り離し隔離・仲間外し・無視現場で誰も口をきかない、段取りを教えない
④過大な要求業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制不要な残業の強要、終わらない量の押し付け
⑤過小な要求能力とかけ離れた程度の低い仕事しか与えない資格を持っているのに片付けしかさせない
⑥個の侵害私的なことに過度に立ち入る休みの日の行動を細かく聞く、詮索する

冒頭に書いた自分の経験は、②精神的な攻撃のど真ん中でした。当時はそんな分類があることも知りませんでした。

刑事事件になることもあります(ただし過度な期待はしないでください)

「殺すぞ」は、状況によっては刑法にも触れます。

罪名法定刑ポイント
脅迫罪(刑法222条)2年以下の拘禁刑または30万円以下の罰金生命・身体などに害を加えると告知すること。「殺すぞ」はここ
侮辱罪(刑法231条)1年以下の拘禁刑または30万円以下の罰金等2022年7月に厳罰化された。公然性が必要(他の職人がいる前での暴言など)
暴行罪(刑法208条)2年以下の拘禁刑または30万円以下の罰金等叩く、蹴る、物を投げつける

※「懲役・禁錮」は2025年6月1日から拘禁刑に一本化されました。古い記事だと「懲役」と書かれていますが、同じものです。

ただ、正直に書きます。職場の暴言が刑事事件として立件されることは、実際にはあまり多くありません。警察は労使間のトラブルに立ち入りたがらない傾向があります。

実際の主戦場は民事の損害賠償労災です。「刑事告訴すれば懲らしめられる」と期待して動くと、たいてい空振りします。ここは冷静に見ておいたほうがいいところです。

では、止める義務は誰にあるのか

この記事の本題です。

現場でパワハラの話になると、たいてい「言われた側が気にしすぎ」か「あの人はそういう性格だから」で終わります。どちらも間違いです。法律は、責任の所在をはっきり決めています。

措置義務は「事業主」にあります

労働施策総合推進法(通称パワハラ防止法)は、事業主に防止措置を取る義務を課しています。相談窓口を作る、相談があったら事実確認をする、再発防止措置を取る、といったことです。

義務化の時期
大企業2020年6月
中小企業2022年4月

つまり、「うちは小さい会社だから関係ない」は、もう通用しません。

法律上のパワハラは、次の3つがそろったものとされています。

  1. 優越的な関係を背景とした言動(先輩・親方・元請は、これに当たります)
  2. 業務上必要かつ相当な範囲を超えている
  3. 労働者の就業環境が害されている

会社が放置すれば、会社自身が責任を負います

ここまで挙げた判決を見返してください。

  • 暁産業ほか事件 → 会社と上司に約7,200万円
  • サン・チャレンジほか事件 → 会社と上司個人・社長個人に約5,790万円
  • アークレイファクトリー事件 → 直接雇用していない派遣先の会社に責任

いずれも会社が払っています。労働契約法5条の安全配慮義務があるからです。会社は、労働者の生命・身体の安全を確保しつつ働けるよう配慮しなければならない。暴言を知りながら放置すれば、この義務に違反したことになります。

現場の安全と同じ構造です。ヘルメットやフルハーネスを着けさせるのが会社の義務であるのと同じように、怒鳴り声を止めるのも会社の義務です。「本人が気をつける話」ではありません。

一人親方・下請けの場合はどうなるか

建設現場でいちばん多い形がこれです。雇用関係がない相手から言われているケース。

結論として、諦める必要はありません。

損害賠償の根拠になる不法行為(民法709条)は、雇用契約とは無関係に成立します。社会通念上許される範囲を超えた言動であれば、言った本人にも、その使用者である会社にも責任を問い得ます。アークレイファクトリー事件が、まさに直接の雇用関係がない事案でした。

なお、パワハラ防止法の指針では、事業主が自社の労働者以外(他社の労働者、個人事業主など)に対するハラスメントにも注意を払うことが望ましいとされています。ただしこれは「望ましい」という水準であり、自社の労働者に対する措置義務と同じ強さではありません。ここは正確に書いておきます。過度に期待せず、民事の不法行為で押すのが現実的です。

証拠能力のある証拠の取り方

ここからが、この記事でいちばん実用的な部分です。

暁産業事件の手帳を思い出してください。証拠がすべてです。言われた側は「言われた」と言い、言った側は「言っていない」と言う。第三者から見れば、それだけでは何も判断できません。

前提:民事で「証拠能力」が否定されるのは、かなり例外的です

まず、よくある誤解を解いておきます。「勝手に録音したものは裁判で使えない」と思っている人が多いのですが、そうではありません。

民事裁判は自由心証主義を取っていて、当事者が出した証拠は原則としてその証拠能力を認めるのが建前です。よく引かれるのが東京高裁 昭和52年7月15日判決で、証拠能力が否定されるのは、

著しく反社会的な手段を用いて、人の精神的・肉体的自由を拘束するなどの人格権侵害を伴う方法によって集められたとき

に限られる、という基準を示しました。この判決は今も広く引用されています。無断で録音したくらいでは、この基準には引っかかりません。

ただし「証拠能力がある」と「裁判で効く」は別の話です

ここを分けて理解しておくと、集め方が変わります。

意味実際のところ
証拠能力そもそも証拠として法廷に出せるか民事ではほぼ通る。ここで落ちることは少ない
証明力(信用性)その証拠が、どれだけ信じてもらえるかここで差がつく。集め方の丁寧さがそのまま出る

つまり、大事なのは「使えるかどうか」ではなく「信じてもらえる形で残せているか」です。以下は、その観点で書きます。

1. 録音|自分が入っている会話なら、同意は要りません

いちばん強い証拠です。自分がその会話の当事者であれば、相手の同意なしに録音して構いません。違法にはならず、実際に多くのパワハラ訴訟で決め手になっています。相手に断る必要はありません。

やること理由
朝礼の前にボイスメモを起動し、胸ポケットに入れておくいつ言われるか分からない。狙って録るのは難しい
録音の頭で日時を小声で吹き込む(「◯月◯日、朝礼前」)ファイルの日付だけだと争われることがある。音声自体に入れておく
途中で止めない。前後を長めに残す前後の文脈があるほうが、切り取りを疑われない
絶対に編集しない。自分に不利な部分も消さない切り貼りした瞬間に信用性が崩れる。ここが一番やりがちな失敗
元データを別の場所にコピー(クラウド、自宅のPC)スマホが壊れる、取り上げられる、機種変で消える
長いものは該当箇所の時間をメモし、文字起こしを作る2時間の録音を丸ごと渡されても、誰も聞いてくれない

逆に、やってはいけないことが2つあります。

  • 自分がいない場所に録音機を仕掛ける。これは当事者録音ではなく盗聴です。証拠能力を否定され得るうえ、別に違法行為になります
  • 挑発して言わせる。不自然なやりとりは裁判所に見抜かれ、かえって信用性を落とします。普段どおりにしていてください

スマホで足ります。ただし、こういう場合だけ別です

先に正直に書きます。ほとんどの人は、スマホのボイスメモで足ります。わざわざ何かを買う必要はありません。

ただ、スマホには弱点もあります。

スマホの弱点現場で起きること
着信や通知で録音が止まることがある肝心の場面だけ切れている
長時間回すと電池が持たない朝から夕方まで入れっぱなしにできない
会社支給のスマホしかない私的な録音データを会社の端末に置くことになる
操作するのにポケットから出す必要があるその動作自体が不自然に見える

「一日中ポケットに入れっぱなしにしておきたい」という段階まで来ているなら、乾電池で長時間動く小型のICレコーダーのほうが向いています。数千円のもので十分です。

選ぶときに見るのは3点だけです。①連続録音時間 ②電池式かどうか ③胸ポケットに入る大きさ。音質やノイズ除去のような性能は、この用途ではほとんど関係ありません。高い機種は要りません。止まらずに回り続けることのほうが大事です。

参考までに、条件を満たす定番機を挙げておきます。単4形の乾電池2本で動くタイプです。

就業規則で録音が禁止されている場合

最近は就業規則で社内の録音を禁止している会社もあります。この場合どうなるか。

まず、禁止規定があっても、録音した音声の証拠能力自体は基本的に失われません。就業規則は会社と従業員の間の取り決めであって、裁判所を縛るものではないからです。

懲戒処分のリスクはゼロではありません。ただし、実際にパワハラが録音されているような場面で、録音したことを理由に懲戒するのは権利の濫用と判断されるリスクが会社側にあるというのが一般的な見方です。解雇となればなおさらで、客観的合理性と社会通念上の相当性が必要になります(労働契約法16条)。

実務的な結論としては、現に被害を受けているなら録ってください。使い方が不安なら、出す前に弁護士に相談すれば済む話です。

2. メモ|決め手は「同時性」と「照合できること」

メモは単独では弱い証拠です。あとからいくらでも作れるからです。

では、なぜ暁産業事件の手帳は7,200万円の判決を支えられたのか。裁判所が、その記載が客観的な事実と符合すると判断したからです。

ここから、書き方が決まります。暴言だけを書かないでください。あとで突き合わせられる事実を一緒に書きます。

書く項目なぜ効くか
日付・時刻◯月◯日 8時15分勤怠記録・作業日報と突き合わせられる
場所・その日の作業◯◯の現場/基礎の型枠を外していた工程表と符合すれば、作り話でないことが示せる
天候朝から雨、昼前に上がった気象庁の記録と照合できる。効く割に誰も書いていない
誰が・何と言ったか言われたとおりの言葉で。要約しない「ひどいことを言われた」では何も立証できない
周りに誰がいたか◯◯さん、△△社の人が2人証人の候補になる。侮辱罪の「公然性」にも関わる
自分がどうなったかその晩眠れなかった/翌朝吐き気がした「就業環境が害された」の裏付け。診断書ともつながる

そして、その日のうちに書いてください。週末にまとめて書くと、同時性が失われます。手帳でも、日付が自動で入るスマホのメモアプリでも構いません。

3. その日のうちの発信|メモの「後から作った」を潰す

メモの弱点は「あとから書いたのでは」と言われることです。これを潰す方法があります。

その日のうちに、誰かに送っておくことです。

  • 家族や友人へのLINE(「今日またこう言われた」だけでも十分)
  • 自分宛のメール(サーバに送信日時が残る。相手がいなくてもできる)

これらはあとから日時を作れません。短くていいので、メモと同じ日に一言残しておくと、メモ全体の信用性が変わります。

4. 会社に相談した記録|これが無いと、会社に請求できません

ここが一番抜けやすく、一番大きい落とし穴です。

前の章で書いたとおり、暁産業もサン・チャレンジも、会社が賠償を払っています。根拠は安全配慮義務(労働契約法5条)です。

ただし、会社の責任を問うには「会社が知っていた、または知り得た」ことを示す必要があります。誰にも言わずに耐えていると、会社は「知らなかった」と言えてしまいます。

だから、相談した事実を形に残してください。

状況やること
口頭で上司や社長に相談したその直後にメールを送る。「本日◯時にご相談した件ですが、◯◯という発言について……」。これで記録になる
社内に相談窓口がある窓口を使い、やりとりを保存する
社内に相談窓口が無い無いこと自体が措置義務違反の可能性。外部の窓口(後述)へ
相談したが返事が来ない返事が来ないこと自体が「放置した」証拠になる。送った記録を残しておく

メール1本です。これを送っておくかどうかで、あとから会社に請求できるかが変わります。

5. 医療記録|早く行くほど強くなります

眠れない、朝どうしても行けない、動悸がする。こういう状態が続くなら、早めに心療内科・精神科を受診してください。

これは体のためが第一です。そのうえで、実務上も意味があります。

  • 医師には、職場で何を言われたかを具体的に話してください。その内容がカルテに残ります。「仕事のストレスで」だけだと、原因がパワハラだったことが記録に残りません
  • 診断書は求めればもらえます。カルテ自体も、後から開示を請求できます
  • 初診が遅いと、因果関係を争われます。「発症は別の原因では」と言われないためにも、早いほうがいい

6. 労働時間の記録|残業の話をするなら必須です

前の章の時間外労働の話につながる部分です。時間の問題は、時間の記録がないと何も始まりません。

会社側にある記録(タイムカード、勤怠システム、給与明細)は、手元にコピーがあるなら辞める前に確保しておいてください。辞めた後だと手に入りにくくなります。会社が出さない場合でも、労働審判や訴訟のなかで開示を求める手段はありますが、時間と手間がかかります。

会社の記録が取れなくても、自前の記録が有効です。

  • 毎日の出退勤時刻をその日のうちにメモする
  • 現場に着いた時刻・帰った時刻が分かる写真(撮影日時が残る)
  • 家族への「今から帰る」LINE
  • スマホの位置情報履歴(設定していれば、移動の記録が自動で残っている)
  • ETCの利用明細、給油のレシート

どれも単独では弱いのですが、複数が同じ時刻を指していれば、かなり強い証拠になります。

やってはいけない証拠集め(立場が逆転します)

ここは必ず読んでください。やり方を間違えると、被害者だったはずが加害者になります。

やってはいけないこと何になるか
会社のPCから業務データを大量にコピーして持ち出す不正競争防止法の営業秘密侵害に問われ得る(秘密管理性・有用性・非公知性の3要件を満たすデータの場合)。懲戒事由にもなる
他人のスマホ・PC・メールを覗く別の違法行為。集めた証拠も使いにくくなる
自分がいない場所に録音機を仕掛ける当事者録音ではなく盗聴
音声や画像を編集・加工する信用性が崩壊する。改ざんを疑われると、他の証拠まで信じてもらえなくなる
SNSに実名や社名を出して書く名誉毀損で逆に訴えられ得る。真実でも成立し得る

原則はひとつです。自分が当事者として体験したことを、そのままの形で残す。ここを外れた瞬間に、話が「あなたが何をしたか」にすり替わります。

パワハラの立証に必要なデータは、ほぼ全部この範囲で集まります。会社の機密に手を伸ばす必要はありません。

最後に、A4一枚の時系列表を作ってください

証拠がそろっても、そのまま束で渡されると、弁護士も労働局の担当者も読み解けません。最初の30分で状況を掴んでもらえるかどうかで、話の進み方が変わります。

こういう表を1枚作って、上に載せてください。

日付何があったか対応する証拠
◯/◯朝礼で「殺すぞ」と言われた。△△さんが同席録音①(3分12秒〜)/手帳
◯/◯21時まで残業。指示された作業は翌週の分だった写真(現場を出た時刻)/LINE
◯/◯社長に相談。「気にするな」と言われた相談後に送ったメール
◯/◯眠れず受診。適応障害と診断診断書

これがあると、相談の場で「で、何がいつ起きたんですか」を一から説明せずに済みます。作るのは今日からでも間に合います。

時効に気をつけてください

「もう昔のことだから」と思っている人に、いちばん伝えたいところです。

ケース期間根拠
通常の不法行為損害と加害者を知った時から3年民法724条
生命・身体を害する不法行為同じく5年民法724条の2
いずれも行為の時から20年で打ち切り民法724条

ポイントは2行目です。パワハラでうつ病や適応障害を発症している場合、「身体を害する不法行為」として5年で扱われるのが一般的です。

3年だと思って諦めていた人でも、まだ間に合う可能性があります。心当たりがあるなら、期間の判断だけでも早めに専門家に確認してください。

どこに相談するか

お金をかけずに動ける順に並べます。

窓口費用できること
総合労働相談コーナー(各都道府県労働局・労基署内)無料・予約不要・匿名可まずここ。助言・指導や、あっせん(話し合いの仲介)につなげられる
労働基準監督署無料残業代の未払い・違法な長時間労働・労災の申請。暴行があれば安全衛生の観点でも動く
労災請求(精神障害)無料心理的負荷の認定基準にパワハラの項目がある。会社が協力しなくても本人が請求できる
こころの耳(厚労省)無料電話・SNSでの相談。まず誰かに話したいとき
弁護士(労働者側)相談料がかかる。法テラスは条件を満たせば無料損害賠償を実際に取りに行く段階

労基署について、誤解されがちな点

ここは他ではあまり書かれないので、はっきり書きます。

労働基準監督署は、パワハラそのものを取り締まる機関ではありません。労働基準法にパワハラを直接罰する規定がないからです。「労基署に言えば上司が処分される」と期待して行くと、肩透かしを食らいます。

労基署が強いのは、数字で示せる違反です。

  • 残業代が払われていない(労基法37条)
  • 36協定の上限を超えて働かされている
  • そもそも36協定が出ていない
  • 労災の申請

一方、暴言そのものの相談先は総合労働相談コーナーです。同じ建物にあることが多いので、行けば両方回れます。タイムカードや給与明細も持っていくと、話が早く進みます。

よくある質問

Q. 「現場じゃこれが普通だ」と言われます

アークレイファクトリー事件で、大阪高裁は加害者に強い害意がなくても違法になり得ると判断しています。業界の慣習は抗弁になりません。「昔からこうだ」は、法律の前では意味を持ちません。

Q. 一人親方ですが、それでも請求できますか

できる可能性があります。不法行為(民法709条)は雇用契約と無関係に成立します。アークレイファクトリー事件も、直接の雇用関係がない相手への言動が争われた事案でした。

Q. 勝手に録音していいのですか

自分がその会話に入っているなら、相手の同意は不要です。違法ではなく、証拠としても一般に認められています。ただし、自分がいない場所での会話を仕掛けて録るのは別問題になります。

Q. うちの会社には相談窓口がありません

それ自体が、パワハラ防止法の措置義務を果たしていない可能性があります。中小企業も2022年4月から義務です。社内に窓口がないなら、外の窓口(総合労働相談コーナー)を使ってください。社内に相談してもみ消されるより確実です。

Q. もう辞めた会社ですが、今からでも請求できますか

時効次第です。知った時から3年、うつ病などを発症していれば5年が目安になります。辞めていること自体は障害になりません。

Q. 残業を断ったら「クビだ」と言われました

2つに分けて考えてください。

まず、就業規則と36協定の範囲内の残業命令であれば、断る権利は原則ありません(日立製作所武蔵工場事件)。ただし、上限を超えている場合や、業務上明らかに不要な残業であれば話は別です。

そして解雇は、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当でなければ無効です(労働契約法16条)。口頭で「クビだ」と言われても、それだけで解雇が成立するわけではありません。言われた日時と言葉を、必ず記録してください。

Q. 証拠が何もありません。もう無理でしょうか

今日から作れます。録音は明日の朝から始められますし、メモは今夜書けます。過去の分についても、思い出せる範囲で日付とともに書き出しておく価値はあります。何もないよりはるかにましです。

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まとめ

長くなったので、もう一度だけ整理します。

  • 「殺すぞ」は違法と認定された判例がある(アークレイファクトリー事件・大阪高裁 平成25年10月9日)。一審の「冗談の範囲」を高裁が覆した
  • 人格否定は7,200万円の判決になった(暁産業ほか事件・福井地裁 平成26年11月28日)。決め手は本人の手帳のメモだった
  • ただし厳しい指導すべてがアウトではない(前田道路事件・高松高裁 平成21年4月23日)。線は「業務の指摘か、人格の否定か」
  • 残業命令それ自体は適法(日立製作所武蔵工場事件・最高裁 平成3年11月28日)。ただし建設業も2024年4月から上限規制の対象で、超えれば労基法違反
  • 止める義務は事業主にある。中小企業も2022年4月から。我慢する側の問題ではない
  • 証拠は今日から作れる。録音は自分が会話に入っていれば同意不要。メモはその日のうちに
  • 時効は3年、うつ病などを発症していれば5年。辞めた後でも動ける

最後に、個人的なことを書きます。

言われていた当時、自分は「言い返せない自分が悪い」と思っていました。そう思わせること自体が、あの状態の一番よくないところでした。

法律は、その責任を本人に置いていません。会社に置いています。それを知っているだけで、少し立っていられると思います。

まず、今夜のメモから始めてください。それが一番確実な一歩です。

※本記事は2026年8月時点の情報をもとに作成しています。法令・制度は改正されることがあります。実際に手続きを進める際は、厚生労働省の公式情報や、お住まいの都道府県労働局の窓口で最新の内容をご確認ください。

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